「デジタル・ワークスタイル」 徳力基彦著

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FPNでおなじみの徳力さんから、ご著書の献本をいただきました。ありがとうございます!(実は一ヶ月以上前からいただいていたようなのですが、オフィスに全く戻らなかったので、メールボックスに入ったままでした…。徳力さん、すみません…。)

一見すると、生産性を上げるためのお役立ちサービスやTipsが書かれている「ライフハック本」のように読めます。ただ著書の中で一貫して徳力さんが訴えているのは、「生産性向上によって生み出された時間を有効に使うことで、「個人としての」人生を豊かにすること」。そのために、さまざまなウェブサービスをつかって、個人の力をレバレッジしましょう、と。

コンサルタントって、この辺のところが得意そうに見えますが、実はすごく苦手な人が多い分野です。意外と仕事に無駄が多いし、空いた時間をまた仕事に投下するものだから、気がついたらネタが枯渇している…、ということも少なくないのです。徳力さんからは「皆さんのような方には必要ないかもしれませんが」というコメントをいただきましたが、「必要ない」と思っている人こそ、読むべき本だと思います。

Blog Marketingだって、基本は同じ

 手法、媒体、理論ー。マーケティングと呼ばれる領域は日々変化している。でも、基本的な考え方はそれほど変わっていないはずだ。対象を定め、その嗜好にあったモノ/サービスを生み出し、その行動特性にあったチャネルを使って広告/流通させ、購買に至らしめる。これはインターネット上でも変わらないし、むしろインターネット上ではこの基本を忠実に実行するためのツールが比較的そろっている。しかし、こと「Blog Marketing」となると、なぜかこの基本が忘れ去られてしまうような気がしてならない。

 17日夜、大手町ビジネスイノベーションインスティチュート(Obii)でご一緒させてもらっている、ガ島通信の藤代さんに誘われて、神楽坂のとあるホテルの一室を訪ねた。ソニーのブロガー向けイベント「Extention Line by VAIO 体験サロン」に参加するためだ。元々、ソニーという会社が好きでないこともあって、なんとも釈然としない気持ちで、ソファーに座りながら説明を聞いていた。「モニター」と称して、ある製品を渡したいと申し出られ、藤代さんがお断りしていたとき、ソニーの担当者が言った。「たしかに、なぜこの6人なのかと聞かれたら答えられません。この6人をお呼びした理由が、不明確だからです」ー。おいおいと思った。同時に釈然としない理由が分かった。何となく違和感があったのは、ソニーが好きでもないのにその場にいたことではなく、会の趣旨/目的が不明確で理解しがたかったからだった。

 ソニーは、立派な会社だ。きっと普段のプロモーションでは、きちっとセグメンテーションをしてターゲットを絞り込み、これを訴えたい、これを感じてほしいとメッセージを絞り込んでいるはずだ。でも、ことブログマーケティングとなると、それが吹き飛ぶ。確かに前回の失敗もあるだろう。でもその失敗も、いつも当たり前にやっていたことを怠ったが故の失敗ではなかったか。

 ソニーに限らず、ブログマーケティングで問題になったものは、すべからくこの基本が抜けているような気がする。「売る!」とか「知ってほしい!」とか、そこにあるのはむき出しの欲望だけではないだろうか。少なくとも、ブロガーにどういう形でその商品について語ってもらいたいのか、どういう場の設定をしたら語ってもらえるのか、どういうブロガーなら思っている方向性で語ってくれそうなのか、が見えない。要は、なぜそのブロガーなのかがよく分からないのだ。結果として、単純に有名ブロガーを集めて、様々な便宜を与え、そのブログを読む読者から、ブロガーも企業も反感を買うことになったりする。こうなれば、普通のブロガーなら、おいそれと近づけないなと考えてしまう。藤代さんもよく言及されているが、その結果、PRブロガーばかりになる恐れがある。

 でもどうだろう。エントリでしばしば様々な商品について、新しい使い方を提案しているブロガーばかりを集めて、ある商品の使い方を考えてもらうようにしたら、きっとそんなに反感を買うことはない。同様に、企業のマーケティングについて言及するエントリを書いているブロガーを集めて、ある商品の売り方/見せ方を考えてもらったら、これもそんなに反感を買わないのではないか。つまり単純に「商品について書いてほしい。できれば好意的に」ではなく、「どういう切り口で商品について書いてほしいか」という方向性を示した上で、その方向性にあった、しっかりとしたエントリを多くあげているブロガーを見つけ、集めれば、納得が得られるのではないかということだ。エントリという、ブロガーの人格と企業が開く場の方向性が合致さえすれば、「この方向性なら、この人が選ばれるよね」と読者から好意的に受け止められると思う。つまり、ブログでのプロモーションも、マスメディアでそれを行う場合と同様かそれ以上に、その目的/方向性にあった媒体(ブログ)を慎重に選ぶことが重要でなのだ。あまりにも単純で、面白くも何ともないが、新しいメディアでも、きっとそんな単純で面白くないことが意外と大事なんだと思う。

 ところで、よく考えてみると、当日に見せていただいた商品にしてもそうだ。丸いテレビサイドパソコン、同じ形のデジタルチューナ、WiFiオーディオ。どれも、どう使ってほしいかは伝わってくるが、誰にどんなときに使ってほしいのか、が分からない。こう使ってやろう、という意欲をかき立てるものでもない。でも商品はちょっといまいちだったけど、開発者、企画者、マーケッターはとても面白い人たちだった。不思議なもので、その思いや商品の愛着を聞くと、ちょっと欲しいなと思った。ソニーも捨てたものじゃないなと思った。きっと、いつか、彼らが呪縛や見えないプレッシャーから解放されたなら、いい製品ができることは間違いない。そのときにはiMacThinkpadの片脇に、バイオを置いてみたい。


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> Findoryに生命維持装置

Findoryに生命維持装置

アメリカのパーソナライズドニュースサービス、Findoryが事実上お蔵入りとの記事。
このサービスは、amazonのレコメンデーション機能のニュース版という感じで、読者の購読特性によって、読みたいであろう記事をレコメンドしていくというもの。制作者のブログによると、「新たな方向性を探っていて、いろいろアイディアは出たけど、やる気にならなかった」とのこと。ただ起業家らしく「FindoryがGoogleやMS、AOLに影響を与えた。これは誇らしいことだ」とも述べている。これに対して、TechCrunch日本語版では

今回の件もまた、オンラインニュースの分野が供給過剰気味だという兆候のひとつだろう。新しいスタートアップは、よほど抜きん出たテクノロジーがないと駆動力を発揮することはできそうにない。

と分析している。

ここで「こんなサービスでも止めちゃうくらいなんだから、日本の新聞社サイトなんて」とか書いてみても面白くないわけで。それよりも、パーソナライズドサービスやソーシャルブックマークなど、ニュースの編集を機械、もしくは多くの人にお任せすることの是非を考えてみたい。

いきなりで恐縮なのだが、まずはニュースから離れて、amazonのレコメンデーションから考えてみたい。私がamazonのレコメンデーションで本を買うのは、「この本を買った人はこんな本も買っています」という項目だけだ。なぜかというと、しばしば「これって何の関係があるの」という本が混ざっていることがあるから。トップページやメールでくるレコメンデーションを「直球」と表現するなら、「この本を〜」は「変化球」という感じだろうか。この変化球は多種多様な人の行動からたまたま導きだされたためだろうか、機械がその人や似たような人の購買特性から真っ正直にレコメンドした場合には出てこない。

これをニュースのパーソナライズドサービスに当てはめても、同じ。直球ばかりでは飽きるのだ。私が整理記者時代心がけていたのは、担当面のどこかに変化球を混ぜることだった。特に直球記事が多い国内政治面の時には、ちょっと面白そうな政界記事を使って、いかに見出しとレイアウトで変化球を投げるかということばかり考えていた。そうでもしなければ、誰も国内政治面なんて読まないと思ったからだ。ちゃんと使っていないので推測でしかないが、このFindoryもどちらかというと直球が多かったのだと思う(もちろん問題はそれだけではなくて、例によってマネタイズが難しかったことも一因だと思う)。

それでは、「はてブ」のような人力によるソーシャルブックマークはどうか。こちらの場合も残念ながら、結果的には同じだ。はてブも開設当初は硬軟が程よく混ざった面白いサイトだった。しかし今はどうだろう。しばしば「衆愚化」などと形容されるように、面白さの源泉であったバランスが崩れてしまったようだ。なんというか、変化球ばかりで飽きてしまうという感じ。結局はamazonで「リスト」を見るように、トップページを横目に見ながら、過去フィーリングがあった人のブクマを見ることになる。

「硬軟混ざった情報源」という点においては、新聞というのはなかなか優秀な媒体だ。新聞記事の編集者は毎日違うので、少しづつだがレイアウトも見出しの付け方も、記事扱いの軽重も違う。昔の私のように妙なやつもいれば、NHKに頼って価値判断しちゃうような小心者もいる。その辺が楽しめるようになると、新聞もちょっとは面白くなる。しかし、なぜかネットになるとそのよさが死んでしまうのが、新聞社サイトの不思議なところだ。いまそれが実現できているように思うのは、情報の提供先である「Yahoo! Japanのトピックス」だけ、というのは皮肉以外の何者でもない。


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> iPhone、ビジネス用端末としてはどうなのか?

iPhone、ビジネス用端末としてはどうなのか? より。

たしかに、マックに乗り換えるのはいいと思うんですが、マックそのものがビジネスに不向きじゃないですか?アプリケーションではなく、ハードウエアが。とくにラップトップ。アメリカではいいとしても、日本では重過ぎますよ。

ちなみに、わたしもデスクトップはiMacですが、ラップトップはIBMThinkpadです。で、仕事で使っている会社のラップトップは弁当箱のようなUS Toshibaのもの。グローバル一括調達のわが社の現状から推察するに、アメリカ人ってのはあんまり重さとかサイズをラップトップに求めないんでしょうね。

ということで、アメリカの皆さんはマックに乗り換えていただいて、日本の皆さんは小型軽量のMacbookの発売を強く求めることにしましょう。


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「見える化」は危険な言葉〜わかりやすい言葉、わかった気にさせる言

 新聞記者時代から気にはしていたことなのですが、最近特に気になるのは「言葉」。もしかすると、単語とかフレーズとかと言い換えたほうが、よりニュアンスが伝わるかもしれません。とりあえず、以下の2点は特に気にしてます。


 まず当然のことですが「難しい言葉」「横文字フレーズ」を使わないこと。商売柄、横文字フレーズは必ず出てくるし、同僚と話す分にはむしろ好都合な場合もあります。ただ、得意とする分野が違う人やお客さんと話すとき、そして、そういう人向けに文章を書くときには、なるべく使わないようにしています。使うとかっこいい(ような気がする)し、相手も分かったような顔をされることが多いのですが、数分後に議論が噛み合わないことに気がついて、時間を無駄にすることが往々にあるからです。そこでちょっと面倒ですが、言葉が長くなっても簡単な日本語にするか、例え話を交えて話すようにしています。ただ某戦略ファームのように、横文字フレーズを無理矢理「かっこよく短い」日本語にすると、むしろ分かりにくくなる場合もあるので、要注意です(例:キャッシュフロー=資金流、とか)。


 またその正反対で「わかりやすい言葉」にも気をつけています。わかりやすい言葉、イメージしやすい言葉も、横文字フレーズ同様「わかった気にさせる言葉」であることが多いからです。例をあげると「見える化」。これはローランドベルガーの遠藤さんが流行させた言葉で、現状を可視化することで、問題を素早く認識し、アクションにつなげようという意味だと僕は理解しています。「見える化」は特に中高年層に浸透している言葉だと感じますが、使っている人を見ていると字面通りにしか理解していない。つまり「現状を可視化する」ことにのみ注力して、「なぜ可視化するのか」を考えていない人が多いのです。「そんなの遠藤さんの本を読んでいないからでしょ」という一言で片付けるのは簡単です。ただ、わかりやすい言葉こそ、伝わりやすく、使われることも多い。だからこそ注意しないと、誤った理解を広めてしまい、結果的に意図と反した動きを作ってしまうことがあるのです。


 まあ、あまり気にしすぎると、「無口で不気味な人」になってしまうので、程々にするのがよさそうです。

Wii、ネット接続促進のKSFは「天気予報」?

 今月2日に販売が開始された任天堂Wii」。私も寒空のもと、前夜手に入れた整理券を手に朝4時から某電気店前に並び、ようやく入手しました。こんな風に書くと、「よほどのゲーム好きなんだ」と思われるかもしれません。そんなことは決してなく、ここ数年、ゲームをすることはほとんどありませんでした(業界には私と真逆で、尊敬するこの方のように、ゲームが大好きな人がいたりしますが)。そもそも、私はWiiにゲーム以外のものにも期待して購入しました。それは「Wii Channel」です。これが「デジタルホーム」の核になるのでは、と感じています。


 「キャズムを超えろ」の和蓮和尚さんは「リビングルーム機器として、Wiiのネット接続率は驚異的な数字になる!?」というエントリの中で、「Wiiバーチャルコンソール機能をお父さん世代向けに提供することによって、世のお父さん達がWiiをネットに繋ぎ、子供がその接続を利用して新しいゲームを知ったり、より深くWiiの世界を楽しんだりすることを期待しているのではないか? 上手い戦略だなぁコンチクショウ」と書かれています。私も「Wiiのネット接続率が高くなる」という意見に賛成なのですが、その要因は「バーチャルコンソール」(ゲームを有料でダウンロードできる機能)だけではなく、その手前にある「Wii Channel」も大きく貢献すると考えています(自宅のパソコンで無線LANを使っている人(無線LANの親機を持っている人)なら、Wii無線LANを使えるようにするのは驚くほど簡単です)。


 そもそもWiiは変なゲーム機です。ゲームディスクが入った状態で電源を入れても、必ず「Wii Channel」が起動します(ソニーのPSシリーズも同種の設定が可能だそうですが、あくまでも任意のようです)。そして、「Wii Channel」の片隅には、「天気予報」と「ニュース」が配置され、嫌でも目に入ってきます。この中でも「天気予報」は、メディア関係者なら衆目一致するところですが、どんな人でも必ず気になる「キラーコンテンツ横綱」です。天気予報こそ、任天堂の岩田社長がいう「24時間電源を入れてもらえるゲーム機」を実現するものだと思いますし、同時にネット接続率を高める大きなKSFになると考えます。


 こう書くと、「それなら既存のネット家電(T-naviなどネット接続機能付きのテレビ)はどうなんだ。天気予報があるけど、さっぱりじゃないか」と思われたかもしれません。でも現状のネット家電は電源を入れても、T-naviは起動しません。購入当初(購入前の電気店の店頭くらいまでかもしれません)は「ネットが見られる」「天気予報が見られる」と認識するかもしれませんが、すぐに忘れてしまいます。しかしWiiでは、常に「Wii Channel」が起動し、その片隅には、「天気予報」が存在しています。つまり常に「Wiiでは(ネットにつなげば)天気予報が見られる=ゲームをやる以外にも存在価値があるもの」ということが、認識され続けると思うのです。このような設定は、現状のテレビの枠組みでは無理でしょう。きっと、電源を入れてもすぐに番組が選べなければ、面倒だと感じられてしまうでしょう。具体的な策は思い浮かびませんが、現状のテレビチャンネルを、メインコンテンツではなく「One of them」だと位置づけ、それをユーザに認識させる仕掛けを作れば、つまり「テレビをテレビと感じさせない」ことができれば、その壁を超えられるかもしれません。もしかすると近い将来、「ユーザインタフェースだけでなく、ゲーム機に対するユーザの認識を変えたという点でも、Wiiはイノベーティヴだった」という評価がなされるかもしれませんね。

東京ディズニーリゾートはタカラヅカになる?

 中学の修学旅行以来、約10年ぶりに東京ディズニーリゾートへ行きました。しかも、ディズニーシーは初めてです。嫁さんは楽しんでいたようでしたが、私は「ファストパスは顧客利便性向上以外にどういう意図があるのか」など、細々としたオペレーションの方が気になってしまいました…。そんななか、いわゆるショー中心に割り切って構成されている「シー」のパーク内で一日過ごすうちに、近い将来、東京ディズニーリゾートタカラヅカと同じ道をたどるのではないかと感じました。


 私のなかでは、ディズニーリゾート=アトラクション(乗り物)というイメージが強くありました。しかしアトラクションは何度も乗れば飽きてしまううえに、更新するのには莫大な費用がかかります。これではリピーター命のディズニーリゾートは成り立たないわけです。しかも入場者の7割が関東地方在住(オリエンタルランドHPより)で、ある調査によればその関東在住入場者の約半数は6回以上ディズニーランド(リゾート)に行ったことがあると答えています(インターワイヤード社調べ)。彼らを飽きさせず、かつ投資効率がよいものはなにか。その答えが「ショー」だったのではないかと思います。だからこそランド時代から「エレクトリカルパレード」に莫大な投資をしてきたし、「シー」の構成をリピーターを呼べるショーを主体にしたのだと思うのです。実際に、「ランド」とは違い、メインのショーを中央にある「ハーバー」を舞台に行うことで、パークの中心付近ならどこでも見られるように、つまりより多くの人が一度に楽しめるように設計されています。また、内容も「電飾」中心の「ランド」とは対照的に、ストーリーと演技が中心で、より深くショーを楽しめるようになっています(タカラヅカでいうと「レビュー」みたいな感じ)。この「アトラクション→ショー」という変遷が、私にはタカラヅカの変遷と重なってみえます。


 ご存知の方も多くおられると思いますが、タカラヅカも元々は「宝塚新温泉」というテーマパークのショーの一つにすぎませんでした。結局、時代とともにリピータを引きつけられなくなった宝塚新温泉(宝塚ファミリーランド)は実質消滅し、宝塚歌劇宝塚大劇場)だけが生き残ったのです。また劇場機能しか持たない「東京宝塚劇場」という存在も、現在の「シー」の位置づけと重なって見えます(ちなみに、初代東京宝塚劇場(現在は二代目)はタカラヅカ専用ではありませんでした)。


 「子供」という入場者を考えると、アトラクションがまったくないディズニーリゾートが成立するとは思えませんが、もしかすると将来、「シー」以上にショーに特化したディズニーパークが登場するかもしれませんね。